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各位の寄稿にたいする一当事者折原の応答2

折原浩

2004315

 

 

横田理博氏の寄稿にたいする応答

横田氏が、ご多忙のなか「所感」を寄せてくださったことに、一当事者として感謝します。ご趣旨はきわめて明快ですが、念のため、筆者のほうで六点に要約し、あるものには簡潔に、他のいくつかには筆者の側で敷衍して、応答を試みます(横田氏はご承知のことでも、このコーナーの公開性を考慮して補説するばあいがありますので、ご了承ください)。

[1]「倫理」論文は、「テーゼ」と「その例示」とからなる。「例示の仕方を間違え」ても、「骨組みとしてのテーゼ自体の間違いにはならない」。羽入書は、例示のみにかかわる"間違い捜し"で、「テーゼ」自体に達していないから、「テーゼ」を更新する「新たな歴史学的寄与」を含んではいない。それにもかかわらず「従来のヴェーバー研究を覆す大発見であるかのごとくアピール」するのは「不適切」である。

[2]羽入書は、「倫理」論文の「筋道」を「正確には提示」していない。そのため、当の「筋道」を知る読者は、羽入書に反発するだけで問題ともしないが、「筋道」を知らない読者ほど、羽入氏の論難する箇所が「倫理」論文自体にとっても重大と思い込み、全否定へと短絡する。羽入書への評価が、両極端に分かれるのは、そのためである。

[3]ヴェーバー著作は、古典としての評価が定着する一方、じっさいにはあまり読まれず、批判的な検証や展開もされなくなっている。その虚を衝いたのが羽入氏で、ヴェーバーが参照した資料に当たる地道な検証作業自体は尊重に値するが、「文脈の軽重をわきまえずに『犯罪』…告発」に走ったのは「軽率」であった。

[4]こうした状況で、横田氏自身は、いまでは忘れられているゾンバルトやシェーラーの「資本主義の精神」論(同時代の類例)と比較する手法を採用し、いまいちどヴェーバー・テーゼの批判的検証を企てたい。

[5]ヴェーバー研究の意味は、いくらもあろう"間違いを捜す"ことではなく、研究者の価値関心に照らし出されてくる「光っているもの」を引き出すことに求められる。そうした固有価値は、羽入氏が指摘するような「間違い」の有無にかかわらない。

[6]若手ヴェーバー研究者による羽入批判がなかったわけではなく、横田氏自身、(羽入書刊行前の)羽入論文「マックス・ヴェーバーの『魔術』からの解放――「倫理」論文における"Beruf"概念をめぐる資料操作について」(『思想』第885号、1998年3月号、72-111ページ)への批判を、要旨つぎのとおり、未発表論文に注記していた。ヴェーバー・テーゼにとっては、世俗的職業を神与の使命と捉える職業ないし職業倫理がルター/ルター派にあったという事実が重要で、この事実は、ルター訳『コリントT』7: 20Berufという訳語がなくとも覆らない。「観念(思想内容)が訳語の選択の仕方に表れうることは確かだが、訳語の不在が観念の不在を証明することにはならない」からである。

 

さて、筆者は、横田氏のこの「所感」が、羽入書にたいする内在批判として大筋で正しいばかりか、その後の展開――すなわち、羽入書への社会的対応が、片や大方のヴェーバー研究者による無視、片や「倫理」論文の「筋道」を知らない山折哲雄氏らによる絶賛/「山本七平賞」授賞というふうに二分されてくる展開――の根拠を、羽入書に内在する欠陥に即して的確に捉えている点で、簡潔ながら優れた批評をなしていると思います。ただ、このコーナーは、拙稿「インタルード」(本「コーナー」に掲載)でも述べたとおり、「政治的結集」ではなく「学問論争」の場ですから、「小異を捨てて大同に就く」のではなく、むしろ「小異」、つまり「大筋で」という留保にこだわって、これを拡大してみましょう。

まず[2]の「筋道」とは、羽入氏のいう「『倫理』論文の全論証構造」に当たるでしょう。確かに羽入氏は、当の「全論証構造」とはいかなるものか、「正確に」提示してはいません(そこで筆者は、『未来』3月号所収の論考「ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理』論文の全論証構造」で、当の「全論証構造」の全面的かつ具体的な再構成を試みました)。そこまでは、横田氏が控えめにいわれるとおりです。しかし、その先はどうでしょうか。羽入氏の叙述が「不正確」だったために、もっぱら読者が誤解」したのでしょうか。むしろ羽入氏は、「全論証構造」を把握していないばかりではなくさらにそのうえ、つぎのとおり、自分が問題とする「部分」をヴェーバーの「全論証にとっての要」と決めてかかり読者を誤導しているのではないでしょうか。

「フランクリンの『自伝』に引用されていた『箴言』22: 29の一節から"Beruf"という語を引き出し、そしてさらにはただこの"Beruf"という語の語源をたどることのみによって直接ルターへと遡る部分、この部分こそが『倫理』論文の全論証にとっての要をなす[?]、…この部分の論証には、一つのアポリアが隠されている[?]……。」(羽入書、68ページ、以下、ノンブルのみ記す。下線による強調と[ ]の挿入は、引用者。以下同様)

「……ヴェーバーは、『箴言』22: 29のその箇所においてルターが"Beruf"という訳語を使ってはいなかった["Geschäft"で通した]にもかかわらず、フランクリンの用いた"Calling"という表現からルターの"Beruf"という訳語へと、『倫理』論文中において飛び移らねばならぬ[なぜ?]……。……ヴェーバーはもちろん[?]、この事態が自らの論証にとって致命的となりかねぬことを良く知悉[?]していた。彼はフランクリンの『自伝』からの引用部分に次のような短い注を付し、読者に対しこのアポリアを後ほど解くことを約束[?]した。『「箴言」2229。ルターは"in seinem Geschäft"と訳している。古い英訳聖書は"business"。これについては63頁・注1を参照せよ。………』ここで予告されている注こそが、"Beruf"に関するあの[「倫理」論文第一章第三節冒頭の]有名な注である。」(69)

このアポリアを回避するためにこそ[?]、妻マリアンネをして嘆かせたあの長大な『脚注の腫瘍』……は書かれたのである。」(71

さて、横田氏はじめ、「倫理」論文を成心なく通読し、歴史を思い浮かべながら論旨の「筋道」をたどって考えた読者には、羽入氏によるこの一連の推断は、なんとも恣意的な「決め込み」と映るほかはないでしょう。18世紀のフランクリン父子が、『箴言』22: 29の「わざ」(ヘブライ語の原語は"melā'khā"、ヘレニズム世界に散住してヘブライ語を読めなくなったユダヤ教徒のためのギリシャ語訳=『七十人訳』では"ergon")を"calling"で読んだからといって、16世紀のルターがすでにその語を"Beruf"と訳していなければならない、ということにはなりません。なるほど、ヴェーバーの所見では、ルターが1533年に旧約外典『ベン・シラの知恵』11: 20, 21"ergon""ponos"(労働、労苦)を"Beruf"と訳出した時点で、世俗的職業を神与の使命と捉える"Beruf"創始され、「それ以降dann(その箇所から、ではなく)」プロテスタントの支配的な諸民族の言語に、"calling"を含めて上記の聖俗両義を併せ持つ「"Beruf"相当語」が普及しました。しかし、だからといって、初っぱなからルターが、『ベン・シラの知恵』11: 20, 21"ergon"に合わせて、『箴言』22: 29"ergon"まで"Beruf"と訳出していなければならない、ということにはならないでしょう。

というのも、『箴言』と『ベン・シラの知恵』とは別々の聖典ですし、問題の二箇所のコンテクストも意味もちがいます。『箴言』句は、(新共同訳では)「技に熟練している人を観察せよ。彼は、王侯に仕え、怪しげな者に仕えることはない」とあります。それにたいして、『ベン・シラの知恵』のほうは、(『聖書外典偽典2・旧訳外典U』再版1981、教文館、108ページによれば)「自分の天職を貫き、これにいそしみ、労働しつつ老年を迎えよ。罪人の仕事を見て訝るな。主を信頼して自己の職務に徹せよ」とあり、ここで「労働」「職務」と訳されている"ergon""ponos"に、ルターが語"Beruf"を当てたわけです。なお、20節冒頭に見える「天職」の『七十人訳』原語は、"diathēkē"(遺言、定め)で、これこそ"Beruf"と訳されてしかるべきではないか、とも思われますが、ルターはこれには"Gottes Wort"(神のことば)を当てました。また、21節の後半では、「貧者を速やかに、急に富ませることは主にとっては易しいことである」(下線による強調は引用者)と説かれています。

とすると、『箴言』句は、「技」への「熟練そのものに力点を置き、人間わざ・人為を賞揚して「わざ誇りWerkheiligkeit」を触発しやすいのにたいして、『ベン・シラの知恵』のほうは、「神のことば」と解された「定めdiathēkē」にしたがい、(伝統的秩序のなかで)自分に指定された「労働/職務ponos」に「とどまるemmenō=abide by」ことをこそ、「主を信頼する」知恵として奨励している、と読めましょう。とすれば、神の無償の恩恵にたいする純一な信仰・帰依を説き、「わざ誇り」を(神信頼の秘かな欠落を顕す証左として)原則的にしりぞけるルターの宗教性から見て――とりわけかれが、152425年の農民叛乱にたいする敵対以降、とみに「伝統主義」に傾いた歴史的経緯を考慮に入れるならば――、かれが『箴言』の"ergon"には"Beruf"を当てずにそっけなく"Geschäft"(実務)と訳し(「伝統主義」が強まる一方の没年まで当然"Geschäft"で通し)、『ベン・シラの知恵』句のほうは、"ergon" ばかりか"ponos"にまで"Beruf"を当てた事実も、まさに「翻訳者ルターの伝統主義的精神」の表出として首肯されましょう。

と同時に、『箴言』句のほうはどうかといえば、「神の道具」として振舞う人間行為・人為に力点を置きがちな、17-8世紀「禁欲的プロテスタンティズム(の大衆宗教性)」、とりわけ(父フランクリンを厳格な平信徒のひとりとする)カルヴィニズムにおいては、『箴言』句がルタールター派からは「わざ誇り」としてしりぞけられるまさにちょうどそれだけ逆に尊重され、「伝統主義」的制約をともなわないその"melā'khā" "ergon"にこそ、"calling"を含めて「"Beruf"相当語」がどこかで当てられて当然であろう、と「意味適合的に予想されましょう。そこで、そうした改変がどこで、どんな歴史的事情のもとで起きたのか、『箴言』句の「"Beruf"相当語」訳が、そこから(ルターから直接にではなくどのような歴史的経緯をへてフランクリン父子のもとにまで達していたのか、というひとつの(おそらくは)新しい問題が、歴史研究に投げかけられることにもなりましょう。

ところが羽入氏は(じつは折角、この新しい問題の出発点に立ったのに)、そこを上記の「文献学的八艘飛び」で短絡的に直結し、当の問題への入口をみずから塞いでしまいます。すなわち、『箴言』22: 29と『ベン・シラの知恵』11: 20, 21との意味上の差異を無視し、両者を「同義等価とする非現実的非歴史的仮定のうえに、前者の"Geschäft"と後者の"Beruf"との(じつは当然の)不一致を「アポリア」に見立て、これを「倫理」論文のなかに――それも、本論(第二章)ではなく「問題提起」(第一章)しかも第二節の注と第三節の注との間に――持ち込んで、そこをなんと「全論証にとっての要」と称するのです(じつはこうして、歴史の現実問題から離れ、羽入氏の頭のなかだけにある擬似問題に迷い込んでしまいました)。

そのうえで羽入氏は、彼我の区別がつかないのか、著者ヴェーバーもこの「羽入ストーリー」どおりに、指定の役まわりを演じているかのように描き出していきます。すなわち、ヴェーバー自身も、「この『アポリア』を解かなければ『倫理』論文の『全論証が崩壊』する」とばかり、必死で「八艘飛び」を企て、「資料操作」で「詐術」まで弄した(あるいは、少なくとも弄しかけた)けれども、ついに「刀折れ、矢尽きて」倒れていた――その屍骸を、羽入氏こそ「世界で初めて」「発見」した――、というわけです。

ところで、「『プロ倫』の中味を知らない読者」でも、「一論文の『要』が、まだ本論にも入らない『問題提起』章の、それも注と注との間にあって、内容上も、18世紀の革新的(反伝統的)世俗人フランクリンと、伝統主義に傾いた16世紀の宗教家ルターとを、一語で直接つなぐところにある、などとは、いかにも不自然ではないか」と、漠然とは疑問に感ずるはずです。ところが、羽入書はなにしろ、「はじめに」から「推理小説仕立て」で、奥方の例の「トイレ託宣」に始まり、架空ゆえに巧みな「心理描写」と執拗な「反復」の小道具にいたるまで、それこそ「総力戦/総動員体制」で「ヴェーバーは詐欺師」と吹き込んできますから、読者もつい「詐欺師なら、そんなところに『要』をしのばせ、こっそり『アポリア』を隠すなんて、やりそうなことだ」と信じ込まされ、かえって一瞬は疑問に感ずるそのつど、当初からの先入観を少々無理でも自分に納得させ、追認の坂道を転げ落ちてしまっても不思議はありません。

「種を明かし」てしまえば、なんともお粗末な「手品」のような話です。横田氏も[3]で指摘しているとおり、「倫理」論文は、ことほどさように「実際にはあまり読まれなくなって」いるのでしょう。ただ、さりとて、横田氏が[2]で述べるように、「『プロ倫』の中味を知らない読者は、羽入氏がとりあげて批判しているところを『プロ倫』にとって重大な箇所だと誤解し、そこが反駁されたのだからもう『プロ倫』はダメだと短絡的に判断してしまのでしょうか。もっぱら読者側の「誤解」と「短絡的判断」に責任を帰すべきなのでしょうか。実情は、上記のとおり、自分の誤解を誤解と自覚せず「世界的な発見」と錯覚している著者羽入氏が、読者を当の誤解・錯覚に向けて誤導しているのです。ただ、ご当人は、自分のやっていることを誤読・誤解とは思わず、「世界的な発見」の開陳と信じ込んでいますから、意図して読者を欺く「詐術」とはいえません。だいたい、「『プロ倫』の中味を知っている読者」にはすぐ見破られるようでは、「詐術」としても稚拙にすぎましょう。むしろ、「倫理」論文の「全論証構造」を把握できない読解不足、キリスト教一般とりわけルターの宗教性にかんする認識不足、ヴェーバー打倒を自己目的とする「抽象的情熱」に駆られるあまり、両不足を顧みて改めることのできない「価値自由」のスタンス、批判対象を「他者」として措定できない「彼我混濁」の幼弱な自己中心性、………要するに、ことここにいたるまでの教育、とりわけ大学院における研究指導の問題が提起されている、というべきではないでしょうか。

 

さて、羽入氏はこのあと、第一章第三節「ルターの職業観」冒頭の注記内容についても、つぎのふたつの虚説を捏造して、ヴェーバーの「詐術」(少なくとも「杜撰」)の「証拠」に仕立てています。すなわち、ヴェーバーは、ルターが1533年の『ベン・シラの知恵』訳で"ergon""ponos""Beruf"を当てる「数年まえにはまだeinige Jahre vorher noch(GAzRS, T, S. 68; 梶山訳/安藤編『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の <精神> 』第二刷、1998、未来社、144ページでは「数年まえまではまだ」; 大塚久雄訳『同』改訳文庫版第二版、1989、岩波書店、107ページでは「その数年前にはまだ」)、『箴言』22: 29同一の原語 "ergon" "Geschäft" を当てていた事実を、その間に進展した「翻訳者ルターの伝統主義的精神」を浮き彫りにする背景として、いわば時間的に至近の対照例として対置しています。類例を引き合いに出して対比し、双方の特徴を鋭く定式化するこの手法は、特定の意味をそなえた事象の「特性」を捉えて「意味・因果帰属」するヴェーバーの「常套手段」です。ところが、ヴェーバーの方法論を理解していない羽入氏には、その意味が掴めなかったのでしょう。この方法無理解と、ルターの宗教性にかんする認識不足とがここで結びつき、おそらくは梶山訳/安藤編の不適訳に誘導されて、羽入氏は、ルターが「『数年まえまではまだ』『箴言』22: 29 "ergon" "Geschäft"と訳してしいたとしても、『ベン・シラの知恵』の "ergon" "Beruf" と訳したからにはそのあとでは、『同義等価『箴言』22: 29 "ergon" にも"Beruf" を当てなければならなかったはずだと思い込んでしまいます。そうして、至近の対照例の対置を、「時間的順序に基づいたルターの翻訳相互の影響関係に関する、ヴェーバーの……立論」(87)と取りちがえ、以後、「……双方の翻訳の時間的前後関係に依拠する[?]前述のヴェーバーの論点」(88)、「ルターによる"Beruf""Geschäft"という二つの訳語に関する、前者の方こそがルターによって翻訳された時期は後であるという論拠に依拠した[?]ヴェーバーの主張」(100)、「双方の翻訳の時間的前後関係に依拠した[?]ヴェーバーの主張」(102)、と自分の誤読を反復して読者を誤導し、さらに「時間的前後関係」(98, 105, 106, 267)を「事柄としての軽重関係にすり替えて「……『ベン・シラの知恵』11: 20, 21における "beruff" という訳語を『箴言』22: 29における "geschefft" という訳語よりも殊更に重視しよう[?]というヴェーバーの主張は成立し得ぬこととなる」(102, cf. 267)――つまり、「アポリア」が解けない、「倫理」論文は両訳語の「直接結合」という「要」で破綻している――との「結論」に持っていきます。拙著で羽入書第一章について指摘したとおり(62ページ)、この第二章でも、ヴェーバーの「立論」「論点」「主張」を羽入氏流に定式化しようと腐心している箇所が、疑似問題持ち込みの「現場」です。

ちなみに、この件については、旧約典『箴言』と旧約典『ベン・シラの知恵』との軽重関係からみて、前者の訳を重んずるべきではないか、との疑問ないし反論が提起されるかもしれません。しかし、ことは(そうした聖典間の軽重関係を捨象できない)諸宗派間の比較の問題ではなく、旧約外典『ベン・シラの知恵』を重んじたルター本人かぎりでの、かれの宗教性にとっていっそう重要な意味関係――「わざ誇り」と「伝統的職業における神への服従」というふたつのコンテクストのうち、どちらの"ergon""Beruf"を当てるか――の問題です。したがって、かりにそうした反論がなされたとしても、失当というほかありません。

羽入氏は他方、『ベン・シラの知恵』11: 20, 21についても、ヴェーバーが、こちらを『箴言』22: 29に比して「殊更に重視」する上記の「誤り」を犯しているばかりか、"Beruf" の創始にいたる歴史的経緯にかんする所見においても、「詐術」ないし「杜撰」な資料操作によって「破綻」を「糊塗」していると断罪します。

すなわち、ヴェーバー所見では、ルターは初期(1522年)、『コリントの信徒への手紙一』(以下『コリントI)1: 26、『エフェソの信徒への手紙』1: 18, 4: 1および4、『テサロニケの信徒への手紙二』1: 11、ヘブライ人への手紙』3: 1、『ペテロの手紙二』1: 10など(以下、五書簡)に出ている語"klēsis"に、もっぱら宗教的な「神の召し」「神に召し出された状態」という意味で語"beruff"を当てていました(『コリントI1: 26は、1522年には"ruff"が当てられ、1526年版の第二版から"beruff"に改訂されましたから、上記『コリントI1: 26の記載はヴェーバーの小さな引用ミスです)。ヴェーバーは、この"beruff"が、『コリントI7: 17-31のコンテクストでは、「神に召し出された身分の意味で用いられ、これをいわば「橋渡し」として、『コリントI』と『ベン・シラの知恵』双方の当該句が(片や「"klēsis"身分)にとどまれ」、片や「"ergon" "ponos"(仕事、職業、労働)にとどまれ」という具合に)「事柄として似ているsachlich ähnlich」ことから、後者にも"beruff"が当てられ、ここに「神から与えられた使命としての職業」を表す"Beruf"創始された、と見ます。

ところが羽入氏は、ヴェーバーが、「ルターは、五(四)書簡の純宗教的な"beruff"を、『身分』という意味にズレた『コリントI7: 20"klēsis"にも当てて『しまった』(74)ばかりか、そのうえこんどは、この自分の訳に『引きずられて』(74, 76, 88)、ただ『事柄としての類似』のみから『ベン・シラの知恵』の"ergon" "ponos"にも当てて『しまった』(72, 74)」――「『ベン・シラの知恵』の"beruff"は、ルターの二重の浅慮/(羽入氏のいう)『思い違い』(75)から『誤訳、不適訳』(75)として生まれた」――と「主張」しているかのように、例によって執拗に反復し、読者に印象づけます。そのうえで、ルターがじつは、『コリントI7: 20"klēsis""beruff"と訳していなかった("ruff"で通した)事実を暴露し、「ヴェーバーは、この(羽入氏によれば)『不都合な』事実を、ルター聖書の原典ではなく、後代の普及版を用いることによって『隠蔽』した、あるいは少なくとも、ルター聖書の原典を参照せず、『杜撰』であった、いずれにせよ学問的論証の態をなさず、『倫理』論文は『全論証の要』で破綻している」との「結論」に持っていくわけです。

しかし、ちょっと立ち止まって考えてもみましょう。ルターともあろう者が、それほど軽率に(思想的根拠と内的必然性もなく、まるで「ことの弾み」のように)聖句を訳したとでもいうのでしょうか。かりにヴェーバーが、羽入氏の想定どおり「杜撰」だったとしても、ルターがそれほど軽率だったという、それこそ軽率な理解/解釈を公表できるほど「杜撰」だったのでしょうか。あるいは、「詐欺師」として「不用意」だったのでしょうか。「悪魔」として「老獪」でなかったのでしょうか。

ヴェーバー自身は、「ルターが『コリントI7: 20"beruff"と訳し、そのうえでこの訳語を『ベン・シラの知恵』の"ergon""ponos"に当てた」とは、どこにも述べていません。それは、羽入氏の「誤読」ないし「『偶然の』『非適合的』解釈」にすぎません(ただし、この問題は、牧野雅彦氏の寄稿の中心問題をなしているので、つぎに予定している牧野氏への応答のほうで取り上げたいと思います)。

問題は、ルターが@『コリントI7: 20(と24)の"klēsis"を、7: 17-31そのコンテクストから「身分」の意味に解することができるかどうか、それができたとして、では、A当の7: 20"klēsis""ruff"のままに据え置いて、五書簡の他の箇所では「神の召し」(それ以外でもせいぜい「聖職への招聘」)という純宗教的意味に用いてきた"beruff"のほうを、当の"ruff"橋渡しにはして、『ベン・シラの知恵』11: 20, 21"ergon""ponos"に当てることが許されるかどうか、また、B『コリントI7: 20"klēsis""beruff"と訳出していればスッキリしたはずなのに、そこだけ"ruff"で通したのはなぜかC後のルター派における『ルター聖書』普及版では、その"ruff""beruff"に改められたとすれば、その改訂/訳語統一は、いつどこでいかなる歴史的事情のもとにおこなわれたのか、というふうに再設定されましょう。羽入氏の仕事も、ヴェーバー糾弾に走ることなく、この一連の問題を地道に歴史的に探究していけば、ルター研究ないし聖書翻訳史研究の立派な業績となったのではないでしょうか。

このうち、BとCの問題は、拙著でもそうしたように(138-9ページ、注37, 38)、固有の意味におけるルター研究ないし聖書翻訳史研究のテーマとして「開いておく」こととし、ここでは@とAにだけ簡潔に答えましょう。@については、そもそもパウロ/ペテロ書簡一般が、「主の再臨が近い」という終末観にもとづき、遠隔の地にあってさまざまな問題をかかえているキリスト信徒団ekklēsiaklēsisから派生した集会、教団)に宛てて、「信徒各人が福音の召しklēsisを使徒から受けてキリスト信仰に目覚めたときのこと=召された状態を思い起こし、その感銘と信仰(という魂の状態/姿勢)を堅持し、(信仰上の)兄弟助け合い戒め合って、主の再臨を待ちなさい」との趣旨を、宛て先の信徒団がかかえている問題の性質に応じて具体的に説き明かし、教え諭している釈義/勧告であるといってよいでしょう。そのうちの『コリントI7章では、宛て先がコリントス(ペロポンネソス半島のつけ根という要衝の地にある当時の大商業都市)で、富裕化にともなう風紀の乱れが問題とされていた実情に照らし、「配偶関係をはじめ、現世における外面的あり方地位をどう捉え、どう対処するか」が主題とされています。そこでは、そうした「地位」として、(17節を導入句に)1819節で「割礼/包皮別ethnic status」、2123節で「奴隷/自由人別social status」、25節以下で「配偶関係別marital status」が取り上げられます。したがって、「召し出された状態」を、そうした「身分statūs, Stände」と捉え、三例の間に挟まれた20節と24節で、その趣旨が「各人は召されたときの身分にとどまれ」との一般命題に集約されていると解釈できましょう。ですから、パウロ/ペテロ書簡の数ある「終末論的勧告」に見える"klēsis"中、『コリントI7: 1731のコンテクストに内属するこの"klēsis"だけが「身分」の意味を帯びたのは、けっして「ことの弾み」でもルターの「思い違い」でもありません。宛て先のエクレーシアがかかえていた問題の特質から逆規定されて生じた「適合的」帰結で、ルターはその関係を正しく捉えて、ここの"klēsis"だけを「身分」と解し、これに"ruff"(講解/釈義では後述のとおり"beruff")を当てたのです(後のトレルチも、新共同訳も同様です)。他方、そこからは容易に、じっさいにルターが唱えたように、「聖職者/在俗平信徒別ecclesiastical status」を問わないという「万人司祭主義」の原則が導き出されましょう。

そのようにして、『コリントI7: 2024"klēsis"が、7: 1731のコンテクストで「身分」と解せるならば、その「身分」から「職業」へはあと一歩というところです。日常用語としては、「身分」は(「階級」と同様)、「全体としての社会」の「下位単位subdivision」、「職業」はそうした「下位単位」のまた「下位単位」ないし「構成要素」と見られます。社会学上は、「身分Stand」とは、一定の「社会的名誉感」を共有し、これを一定の「生き方/生活様式/ライフ・スタイルLebensführung」に表明する人間集団と定義されます。この「集団」とは、「身分」のばあい、「階級Klasse」(一定の経済的条件によって規定された「ライフ・チャンス」を共有する人間群)のような、たんなる「統計的集団」ではなく、「ゲマインシャフト(主観的にいだかれた意味上の関係)」の形成をともないます。諸「身分」は通例、「名誉」上(肯定−否定)の序列(身分秩序/「社会秩序」)に編制されています。それにたいして、「職業」の定義は多様ですが、一般には「生活諸機能の『分業』関係を構成する特化された機能(役割)」を指すと見ていいでしょう。なるほど「職業」も、それぞれの機能に応じた「生き方」をともないますが、この側面、とくにその「名誉」の上下(「職業の卑賤」)は、概念上は問われません。それにたいして「身分」は、その成員が「名誉」(したがって成員資格)を損なわずに従事できる「職業」の種類を制限するほか、「職業」とくにその分化/発展にさまざな制約を課します。中世以前の社会は、「職業」を特定の「身分」に「封じ込め」て、その分化/発展を制約していました。たとえば、江戸時代の「士農工商」制や、インドの標準的な村落共同体で「一ダースばかりの」手工業者が(「客人民Gastvolk」身分として)共同体に服属している状態(cf. Marx/Engels Werke, Bd. 23, 1972, Berlin, S. 378-9, 長谷部文雄訳『資本論』、青木文庫版、第三分冊、593-4ページ)などを考えてみてください。近世以降は、「職業」がそうした前近代的「身分」制社会(「ポストモダン『身分』制社会」ではなく)の制約から脱し、「市場」を媒介として分化/発展をとげ、それだけ多様化/細分化されてきました。

ところで、ルターの時代は、中世「身分」社会から近代「職業」社会への移行期に当たります。しかし、社会学者でないルターには、「身分」と「職業」とを質的に峻別するいわれはなかったでしょう。したがって、「職業」分化を「身分」分化の量的進展/いっそうの多様化とみなし、後者を「神の摂理」と見たからには、前者にもその摂理観をそのまま拡張して適用し(あるいは、その間にいっそう精緻化されてきた摂理観を適用して)、各人の個別的職業編入も「神の摂理」と見ることができたでしょう。とすれば、「仕事、労働、職務」としての"ergon""ponos"に「神の召し/招聘」を意味してきた"ruff"ないし"beruff"を当てることには、なんの障碍もなかったにちがいありません。知識社会学的/イデオロギー論的には、ルターはまさにそうして、世俗的「身分」と「職業」とをともに、「神の摂理」という同一の宗教的原理に包摂して正当化したため、後者を前者から切り離して独自の発展軌道に乗せることができなかったわけです。

そこで残るのは、Aそうした思想展開/訳語選択を、『コリントI7: 20"beruff"でなく"ruff"で「橋渡し」できたか、という問題です。かりに"ruff""beruff"との間に、なにか語義上−語用上、歴然たる差異と使い分けがあったとしたら、「橋渡し」は難しかったろうと思います。しかし、どうもそうではなかったようで、ルター自身、1523「教会説教」の『コリントI7章の講解/釈義では、7: 20とまったく同じ構文の"klēsis"に、"ruff"ではなく"beruff"を当てています(拙著、78ページ、参照)。つまり、初期ルターの用語法には、四書簡と『コリントI7との(聖典と聖典との)間だけではなく、聖典そのものにおける用例と釈義における用例との間にも、空間的な「揺れ」「混用」が認められるのです。

また、"ruff""beruff"との間にどれほどの違いがあったのか、というような問題については、その言語を生まれつき自国語として育ったドイツ人学者の語感とこれにもとづく研究成果に頼るほうが適切でしょう。とすると、この点につき、ドイツ人教会史家のカール・ホルは、つぎのように述べています。「ルターは、1522年の教会説教で初めて、語Beruf それまでの[聖職への]招聘Berufungの意味に代えて、身分Stand、職務Amt、ないし命令Befehl(今日の『業務命令』を考えればよい)と同義に用いた。もとよりこのばあい、語義の詮索を欠く恣意的変更がなされたわけではない。というのもルターは、まさにこの説教において、同時に、全キリスト者はおよそ特定の身分に属するかぎり、当の身分に召し出されていると感得することが許される、という思想を詳細に述べているからである。身分がかれに課する命令は、神自身がかれに向けてくだす命令である。"Beruf"という[前綴be-によって]強められた語形は、そうした語義を、前綴のない"Ruf"に比べ、殊にこの"Ruf"が使い古されて宗教的含意を失ったばあいに比べて、いくらか強く表現することができた。とはいえ、いったん自分の新しい用語法を導入したからには、それ以降もっぱらそれにしたがうというやり方は、ルターの流儀ではなかった。かれは、新しい用語法とならんで、相変わらずBerufBerufungの意味で使ったり、Berufの代わりに、"Ruf"とか"Orden"とか、いったりしている。」(Holl, Karl, Die Geschichte des Wortes Beruf, 1924, Gesammelte Aufsätze zur Kirchengeschichte V, 1928, Tübingen, S. 217-8)

この点についても、ホルの証言をそのまま採用せず、ルターの聖書翻訳のみか、釈義/著作/語録などの用語法も網羅的に調べあげる批判的研究には、大いに意味があろうかと思います。しかしそれは、固有の意味におけるルター研究に、可能な課題として「開いておく」こととし、ヴェーバーの「倫理」論文第一章「問題提起」第三節「ルターの職業観」の冒頭注における『コリントI7: 20 "klēsis"の訳語問題にかぎっては、このへんで「足れり」としましょう。当の箇所が、前綴be-を欠くだけの類語"ruff" のままで"beruff"に改訂されなかったとしても、それが内属する7: 17-31のコンテクストを介して、初期四書簡の"beruff"を、聖職のみでなく世俗的「身分」への招聘に、さらに(いったん世俗的「下位単位」に当てられたからには)世俗的「職業」にまで適用されるように「橋渡し」することは、「客観的に可能」であったばかりか、翻訳者ルターの精神に起きていた伝統主義への傾斜と摂理観の精緻化に照らして、意味上「適合的」な帰結であった、といえましょう。むしろ、ルター自身も混用していた"ruff""beruff"との、外形上の僅少な差異にこだわり、針小棒大な議論を展開する羽入氏のほうが、いかにも生硬で、ヴェーバーになんとしても「杜撰」「詐欺」の「濡れ衣を着せよう」とする「抽象的情熱」ないし「偶像破壊衝動」の異様な無制約性を思わずにはいられません。

 

て、別稿「学問論争における現状況」(本コーナーに掲載)の§7.「羽入書におけるヴェーバー断罪の一例――このやり方が広まると、どうなるか」では、羽入書第一章につき、拙著『ヴェーバー学のすすめ』における論駁の趣旨を敷衍しましたが、ここではそのあとを受けて、こんどは羽入書第二章につき、横田氏は先刻ご承知のことを、拙著との重複を厭わず延々と述べてきました。というのも、拙著公刊後、各方面からの批評/感想を伺ってみますと、羽入書前半のルター関係の二章については、後半フランクリン関係の二章に比して「文献学的に厄介で、専門家でないと立ち入れない」という印象が強いらしく、初めから「敬遠」されたり、「かりに細部にかんする羽入氏の緻密な考証がそのかぎりで正しいとしても、『倫理』論文の全体ないし大筋、ないし『ヴェーバー・テーゼそのものは、覆されない」といって、じつは細部を不問に付してしまう「物分かりのよい」論評がまま見受けられるからです。この種の論評は、「喧嘩両成敗」を好んで「深追い」を嫌い、極力「泥棒にも三分の理」を見いだそうとする(政治には適しても、学問に適するかどうか疑わしい)文化・風土に見合っており、そのかぎり「通りがよい」でしょう。しかし、学問的には不徹底といわざるをえません。筆者は、羽入書は、「全体」ないし「大筋」にかんしてはもとより、「細部についても――というよりもむしろ、「細部においてこそ――誤っており、非現実的・非歴史的な仮定のうえに立つ牽強付会、恣意的/独断的な断罪に終始している、と主張し、論証したつもりです。そこで、この場をお借りし、この趣旨を噛み砕いて再説し、周知徹底をはからせていただいたわけです。

とはいえ、横田氏の「所感」にたいする応答という本筋から外れたわけではありません。というのも、横田氏の[1][6]の論旨は、「テーゼ自体」と「その例示」、あるいは「観念」ないし「倫理」の存在と、その「表示」としての「訳語」の存在、とを峻別し、それぞれ前項に力点を置いて、「例示」ないし「表示」レヴェルの問題を「不問に付す」、あるいは「等閑視する」傾きを孕んでいるように思えるからです。現に、横田氏は、『コリントI7: 20 "klēsis"の訳語問題に言及はしますが、この「所感」のかぎりでは、その中身への論及と結論の提示は見当たりません。

あるいは、こう言い方を換えてみたほうがよいかもしれません。ヴェーバーが「客観性」論文の末尾に近く、こういっているのをご存知ですね。「F.T.フィッシャーに倣っていえば、われわれの領域にも、『素材探しStoffhuber』と『意味探しSinnhuber』とがいる。前者の喉は、事実を渇望してやまず、文書資料や統計表や調査報告によって潤されればよく、新しい思想の精緻な構成などまったく受けつけない。反対に、後者のグルメ嗜好は、つねに新しい思想の蒸留物を漁るあまり、事実への味覚を失ってしまう」(GAzWL, 7. Aufl., 1988, Tübingen, S. 214, 富永祐治/立野保男訳『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』、1998、岩波書店、160ページ)。かりに[1][6]に示されたスタンスがそのまま固定化していくとすると、横田氏は、いうなれば「意味探し」になってしまうのではないでしょうか。それにたいして、ヴェーバーの強みは、(「聖マックス崇拝」との誤解を恐れずにいえば)逞しい「意味探し」であると同時に精細な「素材探し」でもある、あるいは両者の緊張を生き抜いていく力強さにある、といえましょう。ルターによる語"Beruf"の創始にかんする「脚注の腫瘍」は、ヴェーバーにおける「素材探し」が顔を出した箇所のひとつといえるでしょう。

それはともかく、横田氏が[4]で提示している、シェーラーとの比較における「資本主義の精神」論の批判的再検証というテーマは、たいへん魅力的ですが、[5]その研究で横田氏が捉えるであろう「光っている」固有価値についても、その「特性」を鋭く捉え、的確に「意味/因果帰属」を企て、両者を明快に読者に伝えるには、やはり的確な「素材」を選んで的確に「例示/例証」する必要がありましょう。その方向で、ぜひ「素材探し」重んじ、「意味探し」との統合を目指してください。もとより横田氏としては、羽入書にかぎっては"例示"のレヴェルの"間違い捜し"」のそのまた"間違い捜し"にまで手が回らなかったけれどれも、自分の研究テーマともなれば、"例示"のレヴェルにも"間違い"がないように慎重を期する、ということだろうと思います。

なお、「資本主義の精神」概念とフランクリン文書との関係は、「テーゼ−例示」関係として捉えられましょうが、ルターの「職業観」と訳語(語義論)との関係も、それと同一で、同列に扱っていいのかどうか、多少疑問なしとしません。もとより、訳語の詮索/選択は思想的営為で、訳語には観念が表出されるでしょうが、いったん語が選択されると、いわば「一人歩き」して、逆に観念の展開ないし固定化/骨化を規定していく、というような関係も考えなければなりません。「テーゼ−準テーゼ」関係とでもいえましょうか。

 

さて、ここから先は、あるいは横田氏にはご迷惑かもしれませんが、横田氏と羽入氏とが、東京大学大学院人文・社会系研究科倫理学専攻の(年齢はちがっても)ほぼ同期の院生で、ともにマックス・ヴェーバーにかかわる研究テーマを追求し、互いに議論し合える関係にあった、という事実をめぐって、筆者が(かつて別の研究科で院生の研究指導に携わってきたひとりとして)考えることを書いていきます。

じつは、横田氏が[6]で取り上げている羽入論文は、筆者も、その発表直後に読んでいました。当時、筆者は名古屋大学文学部に勤務していましたが、ヴォルフガング・シュルフターとの共著『「経済と社会」再構成論の新展開――ヴェーバー研究の非神話化と「全集」版のゆくえ』を鈴木宗徳氏とともに邦訳してくれた山口宏君が、大学院博士課程後期に在籍していて、他の院生諸君とともに「こういう論文が出ましたが」と筆者に論評を求めてきたのです。山口君は真剣でしたが、他の院生諸君にとっては、「つね日頃『小うるさく』、修士論文の口述試験では答えにくい質問を浴びせて院生を悩ませる憎き主任教授が、専門の研究領域で後進から挑戦を受け、ことによると『うろたえ』『立ち往生』する姿を、小気味よく見届けてやろう」と、野次馬根性に駆られても不思議はありませんし、好奇心旺盛で結構なことです。そこで筆者も、『思想』当該号を買って羽入論文を読み、数日後、山口君はじめ院生諸君に、要旨つぎのように応答しました。

「この論文は、フランクリンをルターに直接結びつけようという無理難題を持ち込み、独り合点の『議論』を繰り広げているだけで、ヴェーバー批判の体をなしていない。『コリントT7: 20の訳語問題にしても、ヴェーバーは"Beruf"でないことを知っていた『にちがいない』との推定にもとづき、普及版からの引用で『不都合な』事実を隠蔽した『のだろう』と速断している。

  諸君は、魑魅魍魎に惑わされ『華々しく学界デヴューを飾ろう』などと妙な野心にとりつかれることなく、各自の研究テーマにかんする日頃の勉強を淡々と地道に進めてほしい。

 この論文の社会的影響については、執筆者の出自が、文献読解の厳密性にかけては定評のある研究室で、雑誌『思想』に発表されたかぎりでも、指導教官先輩周囲の院生たちが黙ってはいないだろうから、しばらく様子を見よう。こういう述作が単行本として公刊され、広く出回るようなことにでもなったら、わたしも黙ってはいない。」

ところが、それから数年、表題も「魔術」から『犯罪』にエスカレートさせた羽入書が出現し、忘れかけていた院生諸君への約束を思い出させられる羽目になりました。しかし、上記「指導教官/先輩/周囲の院生」のうち、少なくとも「院生たちが黙ってはいな」かったこと、むしろ、横田氏の――あるいは、それと同質の学問上正当な――批判が、事前に羽入氏に届いていたであろうことは、横田氏の「所感」内容と、羽入書のつぎのくだりとを突き合わせてみると、ほぼ確実に推認できます。

「最後に前もって警告しておくならば、本書においては、ある特定の時代のある特定の地域の歴史的現実がいわゆるヴェーバー・テーゼと合致しているか否か、換言するならば、ヴェーバー・テーゼというものが何らかの歴史的現実に当てはめることができるのか否か、ということを確定しようという試みはいかなる意味においても問題とはされていない。本書で考察されるのはただ、ヴェーバーは『倫理』論文においてそのテーゼを学問的に許されるやり方で構成したのか否かということを確定すること、このことのみである。……歴史科学の領域における一つの仮説としてのヴェーバー・テーゼそのものの妥当性という問題にはわれわれは全く関心を有さない。……本書で重要なのは『事実がどうであったか』ということではなく、むしろ逆に『事実についてヴェーバーが何を書いたか』ということなのである。あるいはより厳密に述べるならば、どのようなやり方で歴史的事実に関する彼のテーゼをヴェーバーは組み立てたのか、ということのみに関心があるのであり、その組み立てられたテーゼが歴史的事実と合致するか否かということにはわれわれは何らの関心も持たない。本書で重要であり問題とされるのは、学者としてのマックス・ヴェーバーの『知的誠実性……』……のみである。これのみがわれわれの関心を惹く。」(9-10

羽入氏一流の、例によって冗漫な言い回しながら、ヴェーバー・テーゼ歴史的妥当性問題に踏み込むことを拒否し、「知的誠実性」問題に立て籠もると宣言し、自説が前者の土俵に移し替えて評価されることがないように「前もって警告しておく」というこの「序文」末尾は、ここだけを読むと、いかにも高飛車で傲慢不遜なスタンスの表明であるかのようにも受け取れましょう。しかし、「所感」に表明された横田氏の(おそらくは羽入氏自身にも、「修士/博士論文構想ゼミ」といった機会に披瀝されていたであろう)批判内容と照合しますと、この高飛車な「警告」がじつは、ヴェーバーを打倒するのに、ヴェーバー・テーゼの歴史的妥当性を問うという正攻法の正面作戦は採れず、テーゼの「例示」の次元に退却をよぎなくされ、ただそこで「知的誠実性」を問うことにより「起死回生の反撃」に転じようという、いわば「苦しまぎれの逆襲宣言」であることがよく分かります(テーゼと歴史的現実との「合致」を云々する羽入氏は、概念と現実との関係を方法論的に捉え返せず、「素朴実在論」的な前提のうえに立っているようですが、自分が「テーゼ」そのもの以外の周辺領域に追い込まれていることは「感得」しているようで、そのためにかえって高飛車な態度に出たのでしょう)。羽入氏がもっぱら「知的誠実性」を問う理由も、「例示」の次元でヴェーバーを打倒しようとすれば、どんなに些細なことでも「詐欺」をはたらいたと「立証」し、その個別「行為」を「人格」の「表現Ausdruck」「症状Symptom」「徴表Merkmal」「象徴Symbol」と解する「厳格主義」の規準を適用して、「詐欺師である」と即断する論法に持ち込む以外にはないからなのでしょう。

ですから、羽入氏にとって「知的誠実性」とは、そうした「苦しまぎれの逆襲戦」によってヴェーバーを打倒しようとする「戦略」のかぎりで意味をもつにすぎず、羽入氏自身の「全人格」の「表現」ではないと思われます。かりに「全人格」に「知的誠実性」がそなわっているとすれば、筆者の批判に「知的に誠実に」答えることなく「山本七平賞」を受賞するという個別「行為」に出られるはずがありません。また、こんどは「歴史的妥当性」問題にすり替えたのか、「専門の研究者の方々にお願いして、私のいままでの論証がほんとうに正しかったのか否か、もう一度厳密に確かめるための研究会を始めています」(Voice』、20041月号、201ページ)と語るだけで、(氏の「警告」どおり「知的誠実性」問題と受け止めている)拙論の正面批判に自分で真っ先に答える「知的誠実」義務を、回避ないし先送りできるわけがありません。

さて、そういうわけで、横田氏と羽入氏との院生同士が、このように「がっぷり四つに組んで」動かなかったとすれば、「ヴェーバー研究の土俵のうえでは、「知的誠実性」問題に逃げ込む以外、いや、たとえ逃げ込んでも、羽入氏に勝ち目はなかったでしょう。しかし羽入氏は、倫理学専攻の一院生としては、なにも「ヴェーバー研究」にこだわる必要はなく、その土俵で(たんに「倫理」論文における二三の「例示」ないし「準テーゼ」を捉えるだけで「倫理」論文のテーゼのみかヴェーバーの「人と作品」全体を引き倒そうというような)無理/無謀なことは企てないで、固有の意味におけるフランクリン(倫理)研究ないしはルター(職業観)研究あるいは聖書翻訳史研究に転出することもできたのではないでしょうか。そこで問題を再設定し、「ヴェーバーからの研究」(拙著、41-2ページ)として、フランクリンないしルターにかかわる素材を(そのばあいにはヴェーバー・テーゼの例示としてではなく羽入氏にとって固有価値をそなえた研究対象として取り上げ、ヴェーバーが構成した理念型ないし「意味変遷(精神史)の理念型スケール」(93-4, 96, 110ページ)も、こんどは概念用具としてそこに導入/適用し、批判的に検証しながら研究を進めることもできたはずです。たとえば、上述でも触れたとおり、18世紀のフランクリン父子における『箴言』22: 29"calling"が、16世紀のルターにおける"geschefft"との間のどこでどのように歴史的につながるのかを、ヴェーバーでなく羽入氏独自の「全論証の要」とすることにより、聖書翻訳史/翻訳思想史研究に積極的に寄与し、翻って「禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理」にかんするヴェーバー・テーゼを訳語変遷論の側面で批判的に補完ないし改訂することもできたでしょう。横田氏が、歴史・社会科学方法論の理解のうえに立ち、同時に羽入氏の将来を慮って、「所感」の域を越え、羽入氏の生産的な転身方向まで助言していたかどうか、筆者は知りません。とはいえそこまで、一院生の横田氏に要求するのは無理ですし、酷でしょう。

筆者の大学/大学院理念によれば、まさにそうした助言をとおして院生同士の関係を調整し互いに裨益し合ってよりよい研究成果を達成できるように仕向けていくことこそ、助手および指導教官の課題であり、責任でなければなりません。「意味探し」に傾きがちな年少の院生横田氏が、「素材探し」の年長者院生羽入氏と「四すくみ」の状態にあって、「所感」の域まで「善戦」していたのに、本来、院生間の動向を見守って適切な助言により相互裨益関係を創り出していく責任を負う助手と双方の指導教官は、いったいなにをしていたのでしょうか。羽入氏の「苦しまぎれの逆襲戦」は、学問的には成功するあてのない暴挙にひとしく、当然無惨な実態をさらすことになりましたが、ことここにいたるまで適切な助言/指導を怠り、修士/博士の学位を授与し、学会賞「和辻哲郎賞」まで与えるとは、(金子武蔵/小倉志祥/浜井修といった優れた学者・教育者を三代にわたって擁した)名門研究室の研究指導体制は、いったいどうなってしまったのでしょうか。指導教官と論文査読教官(とくにヴェーバー研究の専門家として査読に加わったはずの教官)は、羽入論文にどういう内容上の評価をくだしたのでしょうか。

こうして問題は、はからずもまた、「大学院教育の実態と責任」というテーマに導かれてきました。東京大学大学院人文・社会系研究科の関係教官各位には、ぜひ自発的に名乗り出て、筆者の問題提起に答え、ばあいによっては羽入氏の援護に立って筆者と論争関係に入ってくださるよう、要望いたします。この日本における学問研究の将来のために。(2004317日記)